|
| ※筆の歴史 |
 |
その昔、熊野村の人々は、主に農業でくらしを立てていましたが
農閑期に出稼ぎに行く人がありました。そこで得たお金で奈良地 方で作られていた筆や墨を買入れて行商しながら熊野村に帰って
きていました。これが熊野と筆を結びつけるきっかけとなりました。
こうした事がくり返されている間に、佐々木為治(13歳)は、有馬(兵庫県)で4年間筆作りを学び、17歳で村に帰ってきました。
また井上治平(井上弥助)18歳は、浅野藩(広島)筆司の吉田精蔵より、筆作りを学びました。村に帰った彼らは熱心に村人に
筆作りを教えました。
その後、1872年(明治5年)に学校制度ができ、授業で筆を使うようになったことから、熊野の筆作りは急にさかんになりました。
しかし、1945年(昭和20年)、日本が第二次世界大戦に負けてから、習字教育が禁止され、熊野筆の生産量がぐんと落ち込みました。この時期、熊野の人々は、生計を立てるため、筆作りの技術を活かして画筆や化粧筆の生産を始めました。
1958年(昭和33年)小学校で毛筆習字が許されるようになり、文部省の学習指導要領にとり入れられ、書筆の生産量も息を吹き返しています。また1975年(昭和55年)には、熊野の筆産業が、中国地方で最初に「伝統工芸品」として、通商産業大臣より指定を
受けました。
現在熊野町では、約2000人もの『筆司』と呼ばれる筆作りの技術者がいます。 |
|
|
 |
※筆供養
筆まつりの中心的行事「筆供養」は、筆づくりのために毛を提供してくれた動物たちへの供養と、役目を終えた筆に対する感謝の気持ち、そして書道上達を願って行われるものです。毎年、全国各地から数多くの筆が持ち寄られ浄火に投じられます。
※筆の材料
一本の筆は、大きく分けて墨を含ませる穂首部分と手に持つ軸部分に分けられます。穂首の材料は主に馬、鹿、山羊、たぬき、イタチ、猫、ウサギなどの動物の毛ですが、これらは中国や北米などから輸入しています。軸の材料は主に竹や木です。これらは岡山県、兵庫県から仕入れたり、中国、韓国などから輸入しています。竹には白竹、矢竹、支那竹などがあり、木には桜、ハードメイプル(楓の一種)、けやき、黒檀、紫檀などがあります。
|
 |
|
|
|
|
All rights reserved. Copyright(C) 2002-2004
hokutoen.co.ltd..
|